究極のグルメ武士道・・・「野武士のグルメ」レビュー

究極のグルメ武士道・・・「野武士のグルメ」レビュー









野武士のグルメ・・・そういうのもあるのか!

こんにちは、J君です。皆さん、独り飯してますか?ラーメン屋で餃子を頬張っては「なるほどこういうタイプか」とか言ってみたり「カルボナーラとシーザーサラダでチーズがダブってしまった」とか心の中でつぶやいたりしていないでしょうか?だいぶ独り飯病が進行しているようですね。実によい傾向です。



最近のJ君はといえば、独り飯の頻度がさらに加速しておりまして「独り飯道とは、これ即ち武士道なり」的な悟りの境地に至っております。本日レビューするのはそんな心境にまさにピッタリの本「野武士のグルメ」です。


「野武士のグルメ」とは、タイトルからも想像できる通り「孤独のグルメ」の原作者である久住昌之先生によるエッセイ集です。マンガではありません。しかし、文章であるがゆえに、孤独のグルメよりもさらにディープなグルメ観が書かれているのです。



特筆すべきはこの「野武士のグルメ」の表紙の帯。「孤独のグルメ」の主人公、井之頭五郎による推薦文・・・というかセリフが大胆にも奢られています。









「うへっ、野武士とは恐れ入った」

・・・すごい言わされている感でビックリ。な、なんですかこれは、オフィシャルのコラ作品ってことになるのでしょうか。そして、裏表紙の帯にも登場しています。こちらもなかなかいい味出しております。









「なにか野武士的なものは・・・」「ないね」

・・・ゴローちゃん、それじゃただの変な人だよ・・・。



とまあ、そんな「こどグル」ファンサービス的プチネタは、さておきまして、「野武士のグルメ」のご紹介です。



皆さんも気になると思いますが、本書のテーマ「野武士のグルメ」とは何か?ズバリ、このように記してあります。


「自分が生きていく道すがらで、腹が減ったとき、そこにあった店に入る。なければ入らない。」というシンプルライフ。



つまり、一見さんだからといって店に入るのにビクビクと躊躇したり、高そうな店だとか、店のオヤジが怖そうだとか、気難しいしきたりがありそうだとか・・・そんなことは一切気にせず、店に堂々と入る。そして「オヤジ、飯だ!」。「茶はいい、それより酒だ!酒もってこい!」。そんなスタンス。これが野武士のグルメ。なるほどカッコイイ。非常に男らしい。憧れるのも分かる気がします。



しかし、現代において、常に野武士的な態度で店に入るのは単なる迷惑な客と紙一重ともいえます。例えば小粋な・・・「アフタヌーンティー」とかで「茶はいい、それより酒だ!酒もってこい!」などと言い出そうものなら間違いなくその日から出入り禁止です。



J君は、現代人が野武士的なグルメを実践するのは時々、言うなれば「東京タワー オカンとボクと、時々、野武士」そんな感じのタイミングでよいのではないかと思います。



ちなみにJ君が野武士的マインドを醸し出す瞬間といえば、代表的なものとしては「ファミレスで独りパフェ」。これは非常に野武士的行為じゃないかと思うのです。J君はデニーズの期間限定メニュー、マンゴーミルクプリンパルフェを月に20回は食べるほど大好物なのですが、デニーズの客層は大抵、子供連れファミリーやOL達。そんなデニーズにおいて、独りで、30代半ばの男が、このいかにも色鮮やかなスイーツ的なものを食べる姿は非常にキモ・・・目立ちます。周りからは明らかにキモ・・・奇異に映るというまさしく四面楚歌の状況。



しかし、食べ進めるうちに・・・そう、表面に盛られた薄オレンジのマンゴーを食べ進み、ミルクプリンへと到達する頃、次第に無我の境地に陥るのです。もはや子連れもOLもどうでもよくなる、食いたいからただ喰うだけ。周りなど関係ない。・・・これぞまさに現代における野武士のグルメなのではないでしょうか。気がつくとパフェだけでスタンプカードも貯まっています。ズバリ、野武士になるとスタンプカードが貯まりやすい。これはJ君の経験則ですが、覚えておいて損はありません。



一方で、現代においてはむしろ女性の方が食事の時に野武士的資質を問われるともいえます。女一人でラーメンライス、女一人で焼肉、女一人で吉牛・・・いずれも女性であればかなりの勇気が必要ではないでしょうか。それをサラッとこなせる人は女だてらに野武士と言っていいと思います。吉野家で豚丼つゆダク大盛りを頼む女・・・まさに現代の侍です。惚れてまうやろ。



そういう意味では、この飽食の時代に「ちゃんとメシ食ってるか?」などと心配される青山テルマもかなりのレベルの野武士といえます。



なにか大幅に話がそれてきているので話を戻しますが、本書ではそんな野武士的なグルメスタイルをはじめとした様々なグルメエッセイが書かれています。その独り飯における心象風景の細かさたるや尋常じゃありません。食べている最中に、誰もが何となく頭でぼんやりと考えたりつぶやいたりしていることが全て書き出されています。そして読み進めるうちに、いつの間にかそれが猛烈に食べたくなってくる、そんな恐るべき魔力に溢れる本と言えましょう。



まずはタンメンについて書かれた描写をご紹介していきましょう。


眼鏡掛けた白髪のオヤジが、使い古したシワの入った白い調理帽をかぶって、「らっしゃい」と静かに迎えてくれるような店にある。

全員が店のロゴが入ったお揃いの黒Tシャツを着て、頭に黒いバンダナ巻いて、「ハイご新規一名様ァ!」と怒鳴って迎えるような長髪若者店員には作ってもらいたくない。



(中略)冷蔵庫の上に映りの悪いテレビがのってて、カウンターの下に油のしみた三ヶ月前の女性セブンが重なってたりする店だ。



・・・いきなりこの細かさです。ここまでタンメンの様式美についてこだわっている人が他にいるでしょうか?でも確かに店の雰囲気、大事ですよね。独り飯において、静かに物思いに耽りながら食べれる環境は何よりも大事。孤独のグルメでもこんなセリフがありました。








最近のいわゆる行列のできるラーメン屋で紹介されているような店は、確かに異様にスタッフのテンションが高くて面食らう事があります。特にJ君のような筋金入りのインドア派にとってはあのリア充っぽさはどうにも馴染めません。頼むから静かに食わせてくれと。横で声張り上げんなと。その辺、百歩譲ってラーメンはまだしもタンメンだけは譲れねえぞ、そういうことですね。ちなみにJ君は女性セブンでなくても、フライデーまでならなんとか許容範囲です。




麺が野菜で見えない。コショウをバンバン振りかける。野菜をスープに浸すようにしてから取り上げ、ふうふう吹いて、湯気をまき散らして口に入れる。熱い。でもウマい。塩味のスープの旨味がまとわりついたモヤシがうまい。ああそうだ、この体はこれを求めていた。正解。大正解。



正解、大正解ですよ!たかがタンメンを食うだけなのにこの臨場感とスピード感。尋常じゃありません。そしてタンメンの章は、異様なテンションのままクライマックスへ突入します。



麺や野菜は、だんだんと白濁したスープの中に見えなくなっていく。それを箸で探し出して食べる。それがだんだん宝探しのようになってくる。お、麺がこんなにあった。モヤシ発見。む、キャベツの芯か。まあいいや。口に放り込む。なんだキクラゲ、まだいたのか。何してた。



まさかタンメンのキクラゲに話し掛ける人がいるとは驚きを隠せませんが、気持ちは分かります。なんかキクラゲって必ず最後の方に出て来がちですよね。箸で掴みづらいからなのか、スープが減ってからでないと認知できないような存在です。でもね、何してたっていわれてもキクラゲも困りますよね。



そんな感じでとにかくテンションの高いグルメエッセイであることがお分かりいただけましたでしょうか。J君も読んだ翌日に思わず餃子の王将にタンメンを食べに行ってしまったわけですが、それはともかく本書では美味いものだけでなく、不味いものについても取り上げています。鬼気迫るまでのものすごく細かい心象風景による罵倒。故にその不味さがビンビン伝わってきます。



久住先生が吉祥寺の某定食屋に入った時のこと、その佇まいはまさに大人の求める、おふくろの味が味わえそうな理想の定食屋でした。しかし、そこで奇跡のメニューに遭遇したのです。


「生野菜定食 焼肉付き 八五〇円」

野菜と肉の主従関係がおかしいことになっていますね。もちろんネタではなく大まじめなメニュー。その詳細とは・・・。






カレー皿みたいな白い大きな皿にレタスが数枚敷いてある。その上にトマト半分とキュウリ一本を輪切りにして、一列づつ並べてある(中略)それらの横に二本の茹でたグリーンアスパラが切って添えてある。小さなパセリも添えられてある。それが生野菜部のすべてだ。そして、その脇に、たしかに「付き」って感じに、小さな牛肉の焼いたのが三枚並べられてる。笑っちゃうほど小さな肉片だ。



(中略)あまりにも字の通りだ。間違ってない。そのままだ。だがしかし。これでごはんを食べろって、無茶だ。おかずにならん。



何をオカズにご飯を食べるかは日本人にとって欠かせないテーマですね。関西ではお好み焼きをオカズにご飯を食べたりするといいますし、J君の友人でもスパゲティーミートソースをオカズにご飯を食べたりする人がいます。・・・しかし、レタスやパセリ、トマトをオカズにご飯というのは、日本人共通で結構しんどいんじゃないでしょうか。いったいどういうコンセプトなんでしょうかこの定食は。ベジタリアン用にしては焼肉の存在が微妙だし。



(中略)それからレタスとトマトを食べて、白いごはんを食べたとき、突然、怒りのようなものが胃袋方面からせり上がってきた。

キュウリもトマトもレタスもアスパラも大好きだ。でもこんな定食あんまりだ。なんでこんなチビチビ肉を食べなきゃならないんだ。肉そのものだって、そんなにウマくはないし。硬すぎっちゃ硬すぎだし。何考えてるんだここのオヤジ。バカじゃないのか。



というわけで、店のマスターが大まじめに作っている変なメニューほどかなりの高確率で地雷である。ということが分かりますね。こっちはある程度ネタのつもりで分かってて食べているのに、それでも込み上げてくる怒りとやるせなさ。金を払っているからなのか、人間の業の深さのせいなのか。



そういう意味では単なるネタメニューから名古屋名物の域にまで昇華されてしまった喫茶マウンテンの存在は偉大なんだなあとつくづく思います。



その他にもアレなメニューとして「冷やし中華ライス」について紹介されていますが、これもできれば回避したい感じですね。(好きな人がいたらスミマセン。)









最後にご紹介するのは、「かっこわるいスキヤキ」の章。久住先生は泉昌之名義で「かっこいいスキヤキ」という作品を出していますが、おそらくこれに掛けたタイトルなのだと推測されます。そこで紹介されているスキヤキの様式美がまたカッコイイ。



生卵がなかったら、すき焼きは食べない。

一回のすき焼きに、絶対二個は生卵を使う。お替わりの卵がなかったら、俺はすき焼き、その時点でスパッと終了するね。



「生卵がなかったらそこで終了だよ」ってことですね。安西先生もビックリの野武士的発言です。J君はすき焼きの卵が切れたごときでは全然終了しませんが、その辺が野武士として修行がたりないのでしょうか・・・。さらに他の具材についても細かい描写が続きます。



ボクは大の豆腐好きだが、すき焼きの中では、さほど重要な具ではない。横目でチラッと見て、「焼き豆腐、いたか、よし」という存在。

(中略)でもこの「よし」は軽くはない。信頼の言葉だ。普段あまり話さないけど、彼にはいて欲しい。いざというとき、焼き豆腐がそこにいたら、ボクは心強い。あの焦げ目が頼もしい。君がいてくれる。焼き豆腐、君はすき焼きの番人だ。



久住先生のすき焼きの擬人化が止まらないわけですが、すごいですね。「普段あまり話さないけど、彼にはいて欲しい。」なかなか豆腐に対しては言えない言葉です。そうか、あの焦げ目は頼もしさの証だったのか。なんとなく分かるような気がしないでもありません。



あと、麩を入れるところもある。煮汁を十分含んだのがおいしいのはわかる。でもあまりに噛み心地が頼りない。お前そんなダラダラするな。もう少しシャキッとしろ。今日はもう帰れ。いらない。



帰しちゃったよ!豆腐に対する麩のあまりの扱いの酷さ。麩に対してお前そんなダラダラするなって。かつお節「くっ・・この俺が・・・だし抜かれただと!?」と同じようなセンスを感じますが、まあでもこれもなんとなく分かるような気がしないでもありません。と、ここまではある意味男らしくてカッコイイのですが、ここから先がちょっと・・・。


肉も、煮過ぎたのがまたウマイ。だからみんなに見つからないように隠して煮過ぎ肉を作ったりする。鍋の端で、白滝や春菊の下に潜らして。話ながらも、しっかり見張って。バレそうになると、慌てて箸で別のもの取るふりしてガードしたりして。さりげなく隠し場所移動したり。そうやって秘密裏に育てた、煮過ぎ肉・・・



こ、これはかっこわるいスキヤキだ・・・春菊の下に隠したりとか、全然野武士じゃない。

でもこれ・・・スキヤキ中の隠し肉、もしバレたら、社会的地位を失うほどに恥ずかしい行為のような気がしてきました。もし好きな娘が自分に黙ってこれをやってたら100年の恋も覚める気がします。まあ、あえてスキヤキで全てを失いかねないリスクを冒すところは野武士的といえば野武士的なのかもしれませんが・・・。





そんな感じで読んだら腹が減らずにいられない異色のグルメエッセイ「野武士のグルメ」をほんのちょっとだけご紹介しましたがいかがだったでしょうか?



本書を読んで共感するもよし、食についてさらにディープに思索するもよし、あえて「俺の流儀とは違う」と反論するもよし・・・もしくはオシャレなカフェで野武士風にキメてみるのもいいかもしれませんね。案外そのワイルドさでウェイトレスさんにモテモテかもしれませんよ。(※ただしイケメンに限る)





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出典) 野武士のグルメ  晋遊舎/久住昌之

参考) Amazon → 

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