スネ夫論

スネ夫の有る風景


「スネ夫論」
最近スネ夫が静かなブームだと聞く。そういえば、渋谷あたりでも心なしかスネ夫ブルーのTシャツに短パンといういでたちの若者が増えてきた気がする。髪だってよくみれば皆スネ夫リーゼントではないか。

それも無理はない話だ。スネ夫こそ我々が求めていた21世紀のヒーロー像なのだから。ジャイアンがもたらした暴力による正義はもはや過去の産物。昭和の遺物なのである。


社長の御曹司として生まれ、息子を溺愛するザマす言葉の母・NY在住の弟の存在といった誰もがうらやむ裕福な家庭環境で育ち、キザで自慢好き、 弱いものには強く、強いものには弱い、自分の能力より周囲の人脈の力を利用する要領のよさ・・・etc.

これらスネ夫的能力は過去には「腰巾着」などという役回りで忌み嫌われるものであったが、最近ではボランチ・司令塔・攻撃的ミッドフィルダーなどと名を変え、まさに現代人に求められる能力として歓迎されるものとなった。
政治の世界然り、経済の世界然り、スポーツの世界然り。現代のパワーゲームを勝ち抜く為の必要要件はジャイアニズムよりもスネリズムであるということはもはや疑う余地もない。

そんなスネリズムの血を受け継ぐ兄弟。すなわちプチ・スネラーたちが他の藤子作品にも少なからず存在する。

ケムマキ(忍者ハットリくん)
ドロンパ(オバケのQ太郎)
サブ(パーマン)
トンガリ(キテレツ大百科)

何れも由緒正しきスネ夫の血をひく者達である。ある者は主人公のライバル的存在へと成り上がり、ある者はより腰巾着の度合いを強め、正真正銘のヒールとして活躍している。
しかし所詮彼らは分家。宗家の血は水よりも濃く、とうてい及ばないということもまた事実であった。

しかしながら、必ずしも血統という縛りにこだわらなければ、そんじょそこらの亜流よりもよりリアルにスネリズムを体現しているキャラ達がいる。そう、藤子作品以外でもスネ夫の残したスピリットを息づかせているヤツらが確実に存在している。

その中でも代表的な存在が、 いなかっぺ大将の西一(にしはじめ)であり、 ガンダムのカイ・シデンである。

特にカイ・シデンという男、初期の頃はセイラさんに「軟弱者!」と平手打ち を食らうほどの情けなさ。そして、反抗的な目つき。これはもはや生まれついてのスネラーである。そして、ジャブローを目指す途中でミハルという愛する女性と出会い、男の責任に目覚めるのである。そう真の男前、カイ・シデン。スネラーの正常進化系がここにある。「宗家」スネ夫も成長したらこういう大人になって欲しいものである。

・・・・このテキスト、あまりのテキトーさに自分で鳥肌が立ちました。