『87CLOCKERS』 のだめ作者が描く超絶マニアックなオーバークロックの世界

「美女」と「PC」と「液体窒素」……のだめ作者が描く『87CLOCKERS』の超絶マニアックな世界(日刊サイゾー掲載2019/11/17)

 

 
みなさんは『のだめカンタービレ』は読んだことがありますでしょうか? ピアノの才能は天才的なのに、部屋がゴミ屋敷と化してしまう汚女子・野田恵と、指揮者を目指すエリート&王子様キャラの千秋真一という、2人の音大生を中心としたラブコメで、クラシック音楽の世界をテーマとしたマンガでは最大のヒット作といえるのではないでしょうか。

天然ボケのヒロインに王子様、そしてクラシック音楽――ある意味、少女マンガとしてはこれ以上ない極上の世界観を描いた二ノ宮知子先生。その二ノ宮先生が「のだめの次の作品」として世に送り出したのが、あまりにニッチなパソコンのオーバークロック(OC)がテーマの作品『87CLOCKERS』(エイティセブンクロッカーズ)でした。一流少女マンガ家が、男子率99.9%ぐらいの超絶マニアックな世界を描く理由が謎すぎるのですが、読んでみると、これが想像以上に面白かったのです。

本作は2011~16年にかけて、「ジャンプ改」および「週刊ヤングジャンプ」で連載されていました。『のだめ』連載終了後、少年誌に場を移しての連載ということで、男子らしいテーマになったようですが、それにしたって狙いどころがマニアックすぎます。なにしろ、ちょっとパソコンに詳しいくらいでは到底太刀打ちできない敷居の高い世界なのです。

オーバークロックとは、いわゆる自作のパソコンを快適に動かすために改造を施し、CPUの速度(クロック周波数)上げることをいいます。車だったら、エンジンやら足回りやらをチューニングしてパワーアップをするのって珍しくないですよね。それのパソコン版というわけです。

  
オーバークロックをのだめ感覚で解説?
  

しかし『87CLOCKERS』が描くのは、単なるパソコンの改造の話ではなく、競技としてのオーバークロックの世界なので、実用性はそっちのけ。いかにパソコンを速くできるか、そして時には命懸けで「スピードの向こう側」をただひたすら追求する漢たちの物語なのです。ちなみに本作では、主要キャストとして凄腕の女性オーバークロッカーが2人も出てきてストーリーに華を添えてくれます。現実には女性のオーバークロッカーなんてツチノコ並みに希少な存在だと思いますけど……。

  
主人公は(なぜか)音大生
  

主人公は、見るからに草食男子な雰囲気を持つ音大3年生の一ノ瀬奏(いちのせ・かなで)。パソコンマンガなのに、主人公が理系ではなく、なぜか音大生……この無理やりな「のだめ感」はさすが。まさに……のだめ入ってる!(インテル入ってるみたいな感じで)

そういえば、「のだめ」も”NODAME”ってアルファベットで書いてみると、どことなく「AMD」っぽい響きですしこの流れは必然だったのかもしれません。

  
裸足で佇む美女にキュンとしてしまいます
  

就活や海外留学といった周りの音大生の熱気をよそに、今ひとつ音楽に夢中になれない、さえない音大生活を送る奏。ある日、アパートの外で裸足のまま佇んでいる謎の美女(中村ハナ)を見て、胸キュンしてしまいます。そして別の日も、またアパートの外で泣きながら佇んでいるハナ。これはただごとではない、DV男に暴力を振るわれているんじゃないかと部屋の中を覗くと、まるで何かの儀式のように、モウモウとした怪しい白煙の中でゲームをしている男がいました。

  
コップはドリンクじゃなく液体窒素
  

男は、MIKE(ミケ)というオーバークロックの世界記録を持つカリスマ。そしてハナは、そのミケを手伝うパートナーなのです。自己中で横暴な俺様キャラのミケからハナを救うため立ち上がった奏ですが、なぜかハナに薦められて次第にオーバークロックの世界にのめり込んでいくことに……という話です。ザックリいうと、かわいい女子の気を引くために、何も知らないオーバークロックをやり始めた音大生の話というわけですね。だいぶありえない設定ですが、オーバークロックみたいなマイナーなテーマを普通の設定で描いたって面白くなるはずがありません。無茶苦茶なぐらいでちょうどいいのです。

というわけで、このマンガの熱いポイントをいくつかご紹介しましょう

  

■液体窒素が普通に出てくる日常が異常すぎる

  
液体窒素のある生活
  

オーバークロックはCPUの発熱との戦いになるため、いかに効率よく冷やし続けるか、というのがオーバークロッカーたちのテクニックの見せどころになります。その手法として、空冷、水冷などがあり、その中で一番ベーシックな手法が「空冷」なのです。皆さんが使っているパソコンにも、ファンという小さな扇風機みたいなのがついていますよね? 要するに、あれが「空冷」です。

  
こんな絵面ばかりのマンガです
  

そして、実用性度外視の競技向けの冷却方法が「極冷」と言われる液体窒素を使ったもの。むき出しになったパソコン基板の上にカップを置いて、そこに液体窒素を注ぎ、CPUをダイレクトにマイナス190度以下の世界まで冷却します。気化した窒素が、まるでバルサンのようにもうもうと立ち込め、部屋を閉め切っていると酸欠になってしまうこともあるのです。まさに命懸けというわけです。

  
液体窒素のために労働の日々
  

ミケ、ハナ、奏など、本作に出てくるオーバークロッカーたちは、パソコンのパーツ代や大量に使用する液体窒素代を捻出するため、内職したり、工場でバイトをしたり、食費を極限まで削ったり、精子凍結保存用の液体窒素を分けてもらえるという理由で、牧場に住み込んで働いたり、まさに液体窒素中心の生活を送っているのです。常人にはまったく理解できない世界ですよね。

  

■職人気質すぎるキャバ嬢

  
お店の名前が「メモリー」
  

秋葉原で自作のPCパーツを買う際に知り合ったジュリアという女性――実はミケに憧れてオーバークロックの世界に入り、資金を作るためにキャバ嬢をやっている女子大生です。

ジュリアは奏の才能に目をつけ、一人前のオーバークロッカーに育てるため、自分のパートナーとして徹底的に鍛え上げるのですが、そのジュリアのこだわりは「空冷」を極めることでした。

  
名言「空冷を極めずして窒素なし」
  

オーバークロッカーたちが集う「オーバークロックカフェ」で水冷派のオーバークロッカーに挑発され、バトルをすることになったジュリア。スペック的には圧倒的に水冷のほうが有利なのですが、ジュリアのパソコン「レディー・バタ子」には、驚くべき仕掛けが隠されていたのでした。

  
映える空冷PC
  

CPUの負荷が高まるとパソコンのフタが羽のように開き、巨大な業務用ファンが2基も稼働してPCを冷やすのです。普通だったら風力が強すぎてPC自体が吹っ飛ぶところが、ジュリアのパソコンはスワロフスキーでデコっているため、重さで飛ばないようになっていたのです。そして、圧倒的不利をはね返してジュリアが勝利。そう、ジュリアは一番効率の悪い空冷で、水冷などを使う他のオーバークロッカーたちをブチのめすことに生きがいを感じているのです。キャバ嬢にして、なんという職人気質でしょうか。

  

■実は一番クレイジーなのは、ヒロインのハナ

  
パイナップル工場で働くハナ
  

ヒロインの女子大生・ハナはミスコン候補にも選ばれるほどの美女なのですが、オーバークロックに対して一番ストイックといえます。オーバークロックに打ち込むため、学業も就活もそっちのけで、パイナップル工場でのバイトの日々。そして、ミケと一緒にオーバークロックをやっているうちに、いつの間にか、そこいらのオーバークロッカーでは太刀打ちできないほどの知識と技術を持つようになってしまったのです。

  
目利きの厳しさは折り紙付き
  

秋葉原で誰よりも高性能なPCパーツの目利きができ、安く購入できる人脈を作り上げています。そして、液体窒素冷却を奏にレクチャーするシーンでは、まさに鬼神のような厳しさ。

「もっと点滴コントロールで、温度管理が甘くなってる」「温度計から目を離さないで!」

奏は10時間ぶっ通しで、液体窒素を点滴のように垂らし続け、温度計を見続けなければいけないという超スパルタ特訓を受けます。

  
一般読者はこの内容についていけるのか・・・?
  

もちろん食事中も、温度計から目を離すことは許されません。そして奏は、液体窒素が充満した部屋で酸欠を起こして意識を失い、危うく死ぬところでした。

オーバークロックに懸ける、このストイックさ……マンガ界で最も理解しがたいヒロインの一人かもしれません。

  

■いつの間にか世界レベルの実力を身につけてしまった主人公

  
地味な絵面ですが世界大会です
  

ミケ、ハナ、ジュリアたちと交流し、国内のオーバークロック大会に出たり、住み込みでの特訓をしているうちに、1年もたたずに世界にも通用するレベルのオーバークロッカーに成長していた奏。パソコン界のF1と呼ばれる、オーバークロックの世界大会に、日本代表として出場することになります。そう、日本ではあまり知られていませんが、オーバークロックには世界大会があるんです。

  
窒素が凍る音を聞き取るという音大生のスキルがここで生きる!
  

奏の特技は、常人にはわからないような、極限レベルでの液体窒素の調整。液体窒素がマイナス120度からマイナス125度……となって凍り付くピキピキ音を、持ち前の耳の良さで聞き取り、限界ギリギリまでCPUを冷却するという超人的な技を披露し、ワールドレコードで優勝。そう、まったく無関係だと思われていた奏の音大生としての能力が、ここで生かされたのです。二ノ宮先生……なんという伏線の回収の仕方でしょうか!!

  

■なんだかんだいってもラブコメ

  
俺様ドSキャラだがOC界のカリスマ・ミケ
  

正直なところ、マニアックすぎて内容はサッパリわからないし、興味もない、という人も多いと思うのですが、それでも面白く読めてしまう不思議な魅力があります。そこは二ノ宮先生らしく、作品がきっちりとラブコメしているからにほかなりません。

  
液体窒素を求めて牧場で住み込みバイト・・・からのラブコメ展開
  

作品の中核をなすのは、ドS王子様キャラのミケと、大学生活のほとんどをミケに捧げている薄幸の美女ハナ、そしてそのハナに心奪われている草食系男子の奏という三角関係にあります。一見ミケとハナは恋人同士なのかとも思えるのですが、実はミケにはその気がなく、ハナはミケの手伝いをさせられているだけの関係なのです。作品後半でミケと絶縁したハナは、牧場で奏と一緒に住み込みバイトをしたり、奏の家に居候することになったりと急展開。それって、奏としてはいろいろ期待しちゃいますよね。でも、そこはなかなかうまくいかないものなのです。だって、それがラブコメだから!

  
やり過ぎると爆発します
  

というわけで、『87CLOCKERS』の超絶マニアックな世界をご紹介しました。実は二ノ宮先生自身もパソコンに関しては素人同然で、知人にduckさんという有名オーバークロッカーがいて、面白そうだからマンガにしたとのことです。そんなわけで、素人目線でわかりやすくパソコンやオーバークロックの仕組みも描かれており、全然知識がなくても楽しめるようになっているのです。もしかしたら、このマンガの影響でオーバークロックを始めたという人も、少なくないのかもしれませんが……。
個人的には、液体窒素に人生狂わされるのは、ちょっと勘弁願いたいと思いました。

  

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出典) 「87CLOCKERS」 二ノ宮知子/集英社

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